あなたは僕の太陽でした。

そして、いつでも、どんなときでも、必ず、僕の味方をしてくれたノックさん。

たのしみ

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ノックさん、あなたは僕の太陽でした。
あなたの熱と光のおかげで、僕は育ちました。
あなたの暖かさと明るさに包まれて、生きてきました。

ノックさん、あなたはみんなの太陽でした。
あなたが現れるだけで、その輪がパッと明るくなりました。
あなたが笑顔を見せるだけで、みんな心が癒されました。

ノックさん、あなたは大きな太陽でした。

あなたの前に立つと、自分が如何に些細なことにこだわり、つまらないことに悩み、取るに足らないことで人と争っているか、自分自身の小ささを思い知らされました。

ノックさん、あなたは今、西の空を真っ赤に染めて水平線の向こうに沈んで行こうとしています。
でも、僕の胸の中には今も真夏の太陽のようなあなたがギラギラと輝いています。

あなたと初めて会った昭和35年(1960年)8月5日から最後となった平成18年(2006年)4月4日までの思い出の数々が、まるで宝石のようにキラキラと胸いっぱいに詰まっています。

六甲のベースキャンプ、ハウスボーイ時代にはサミーと呼ばれ、宝塚新芸座では三田久と名乗り、秋田ケイスケから横山ノック漫画トリオになったノックさん。

初めて買ったブルーバード ファンシーデラックスが盗まれ、セドリックからアルファロメオ ジュリアスプリントベローチェ、運転手付きのダッジダートに乗り換えたノックさん。

我孫子町から沢ノ町、西宮北口から千里津雲台桃山台の豪邸から芦屋に移り住んだノックさん。

漫才師から参議院議員大阪府知事から最後は被告人にまでなったノックさん。

相方や車や住まいや肩書きはコロコロと変えたけど、奥さんだけは生涯変えなかったノックさん。

 

血の滴るようなティーボーンステーキが大好き、あんころ餅や大福餅といった甘いものが大好きで、何より麻雀が大好きだったノックさん。
女性が大好きだったノックさん。
料理を作るのがうまかったノックさん。
麻雀はへたくそだったノックさん。
女性を口説くのがうまかったノックさん。
お酒は弱かったノックさん。
麻雀も弱かったノックさん。
女性にも弱かったノックさん。

マーロンブランド扮するナポレオンの髪形を真似してピンカールしていたノックさん、あの頭で10日に1回散髪に行ってたオシャレなノックさん。

進駐軍仕込みの英語が堪能だったノックさん、そのくせカタカナは苦手だったノックさん。

人を笑わせるのに自分は泣き虫で、賑やかなことが好きな寂しがり屋で、ありがた迷惑なほど世話焼きで、ああ見えて意外に人見知りで、甘えん坊で頑固で意地っ張りで負けず嫌いで、天真爛漫で子供っぽくて可愛くて。

そして、いつでも、どんなときでも、必ず、僕の味方をしてくれたノックさん。

ノックさん、本当にありがとうございました。

ノックさん、本当にお疲れ様でした。

そしてノックさん、本当にさようなら。


芸人を送るのに涙は似つかわしくありません。
どうか不世出の大ボケ「横山ノック」を、精一杯の笑顔と拍手で天国に送ってやってください。

上岡龍太郎「弔辞」)